以前、仏教遺物の庭へ転用(再利用を)をしていた茶人の記事(石灯篭とSDGs~孤篷庵~)を書きました。今回はお庭にあった石の再利用をご紹介します。
お客様より記念碑を立てるにあたり、旧家で使われていた沓脱石を利用できないかとご相談を受けました。代々使われていた沓脱石を記念碑の台石として使うことに決まりました。
加工の為、工場へ持ち帰り洗いました。
この石に合わせて赤色の石で本体を製作します。
渡船場跡地ということで帆掛け型船をイメージしたデザインにしました(運行されていたのは帆掛け船ではありません)
本体は艶のないマットな仕上げ
昭和の中頃まで愛知県の知多半島と高浜や碧南の間の衣浦湾では、渡し船での往来が盛んでした。今回、記念碑が建てられた『松江渡船場』は松江(碧南市)から亀崎(半田市)を往来する渡船で明治19年から昭和31年までの約70年人々の交通を支えていたそうです。松江の渡し船の歴史を形として残したいとのことで記念碑を作らせていただきました。
当時使われていた案内看板
碑に刻まれた福庄とは、松江~亀崎間の渡船を行っていた会社の創業時の屋号で、当時は会社の中に渡船部があり、その後両半酒造として事業を引き継いだそうです。知多は元々酒造が盛んな地域でしたその木桶などを利用したみりんやお酢などの醸造も発展したとの話もあります。酒造屋さんと渡船の組合せを不思議に思うかもしれませんが、江戸への物流拠点として活躍した衣浦港では廻船の業務も盛んだったと思われ知多地域の特性が伝わる歴史です。

屋号の文字見本
渡船場の跡地近くには現在こちらの碑と案内看板が設置されています。


看板にある通り、40分おきに一日18便の往復があった大正時代 人々が日常的な交通手段として利用していたことが伝わります。
衣浦湾両岸の高浜市・碧南市・東浦町・半田市には当時合わせて6本の航路がありました。尾張と三河を結ぶ交通手段として行商人や旅行などに利用され、衣浦湾を渡って嫁入りする光景もあったそうです。高浜市では『芳川渡し場まつり』として花嫁が利用していた『嫁入り舟』の再現があるそうです。かつて人々が船で行きかっていた景色は風情があったことでしょう。現在は衣浦大橋や海底トンネルができ渡し船の必要はなくなってしまいましたが渡船場跡地には記念碑や案内看板が建てられています。(N)










