岡崎市 老舗石屋㈱杉田石材店のブログ
石灯篭(とうろう)庭園・神社用など石製品の製造販売

【創業190余年の老舗石屋】国内最大級の在庫展示数 石灯篭(とうろう)水鉢など庭用石製品をはじめ、石製品全般取り扱っております。本格こだわりの手作り石灯篭(とうろう)をお探しの方は実際に見比べてください。工場では職人の制作風景もご覧いただけます。~心のかよう石づくり~をめざし見る人の心が豊かになるよう心を込めて造っております。これからも技術を絶え間なく積み重ねてまいります。当ブログでは石彫刻品 記念碑 石像 モニュメント等の製作過程や設置事例をはじめ石屋の日々をお伝えしております。

2024年02月

岩津天満宮(岡崎市)の東山梅苑へ石灯籠を見に行ってきました。
全国名灯籠|岩津天満宮東山梅苑
境内に約400本あるという梅の木で山全体が色づき、
春いっぱい桃源郷ならぬ梅源郷という言葉が浮かびます。
全国名灯籠|岩津天満宮東山梅苑
(この記事は2024年2月14日に撮影した写真を使用しています。)
詳しい梅の開花情報は、岩津天満宮ホームページをご覧ください
https://www.iwazutenjin.jp/ 梅ごよみ

梅苑に来て、まず感じるのは、梅の香りが豊かなことでした。
立春を過ぎ、梅は日本らしい春の訪れを感じさせる花です。
岩津天満宮東山梅苑
通路に沿って歩きながら、弊社の石灯籠をご紹介します。
記念碑|岩津天満宮東山梅苑
三月堂灯篭 本歌は東大寺(奈良)にある石灯籠です。
三月堂灯篭|岩津天満宮東山梅苑
石清水灯篭 本歌は石清水八幡宮(京都)にあります。
石清水|岩津天満宮東山梅苑
石清水|岩津天満宮東山梅苑
滝見灯篭の本歌は、修学院離宮(京都)にあります。
滝見|岩津天満宮東山梅苑
火袋の穴から滝を眺めることから、滝見灯篭と呼ばれるとか。
このように梅園にあったら「梅見灯篭」になっていたかもしれません。
滝見|岩津天満宮東山梅苑
西ノ屋灯篭の本歌は、春日大社(奈良)にあります。
西ノ屋|岩津天満宮東山梅苑
西ノ屋|岩津天満宮東山梅苑
境内には、紅梅に白梅、枝垂れや八重咲など、早咲きから遅咲きまで
開花時期が少しずつ違い満開からつぼみも楽しめました。
岩津天満宮東山梅苑
山頂にある太秦灯篭(本歌は京都の広隆寺にあります)
太秦|岩津天満宮東山梅苑
振り向くと、登ってきた斜面に梅の花が広がっています。
岩津天満宮東山梅苑
続いて、山の中腹までさがってくると松琴亭灯篭があります。
この灯篭には、梅の花が良く似合います。
松琴亭の本歌は、桂離宮(京都)の池の畔にあります。
松琴亭|岩津天満宮東山梅苑
東山梅苑では、銭鉢とともに据えられています。
松琴亭と銭鉢|岩津天満宮東山梅苑
途中にあるお地蔵さんも、
枝垂れが咲くのを今か今かと待っているようでした。
地蔵|岩津天満宮東山梅苑
ルートの最後には、全国有名天満宮から奉納された梅が続いて咲き誇っていました。北野天満宮 大宰府天満宮 湯島天満宮など札が吊るされていました。
岩津天満宮東山梅苑
梅に囲まれて建っている岬灯篭の本歌は、桂離宮(京都)にあります。
岬|岩津天満宮東山梅苑
出口の最後にある桂雪見も、桂離宮に本歌がある灯篭です。
桂雪見|岩津天満宮東山梅苑
梅の花は寒い中で咲くことから、季節が春に向かっていることを感じさせてくれます。梅のお花見は、桜とは一味違う古来のお花見を味わっているような気分になります。(N)









岩津天満宮の梅まつりへ行ってきました。
境内の各所に梅があり、400本もの梅を楽しむことが出来ます。
季節になると、収穫した梅の実を干している風景も見られます。
岩津天満宮梅まつり
岩津天満宮の石造品などを、梅の花とともにご紹介します。
天神山の山頂にある拝殿へは、中腹の駐車場もありますが
境内案内図|岩津天満宮
今回は山の下の石鳥居をくぐって、参拝していきます。
岩津天満宮梅まつり
弊社が施工した石製の神橋
橋を渡ってお参りすると御利益があるそうです。
願い事を唱えながら橋を渡ってみてください。
橋石(神橋)|岩津天満宮
神橋梅苑は満開で香りがいっぱいでした。
橋石(神橋)|岩津天満宮
欄干の願掛け撫で牛も、春の陽気で気持ちが良さそうです。牛の彫刻|岩津天満宮
梅の赤いのぼりを辿って、石段を登ります。
学問の神様として有名な岩津の天神さんです。
岩津天神のぼり
梅が彫刻された石灯籠
梅の彫刻|岩津天満宮石灯籠
岩津稲荷は、伏見稲荷のご分霊
こちらの狐も弊社にて施工したものです。
いつ訪れても境内の隅々まで本当にきれいで驚きます。
岩津稲荷の狐|岩津天満宮
石段を登りきると、幕末期の歴史ある狛犬が迎えてくれます。
これは岡崎型狛犬の原型とされている貴重なものです。
台石に梵字が彫られているのも珍しいです。
狛犬|岩津天満宮
狛犬|岩津天満宮
そして、拝殿前の「願掛け撫で牛」は、天神さんの象徴的存在
撫で牛|岩津天満宮
牛の頭を撫でてから、自分の頭を撫でると頭がよくなるといわれ
体の悪いところを撫でてもいいそうです。
撫で牛|岩津天満宮
背中側には、願掛け成就した牛がたくさん納められていました。
これだけの牛があるということは、願いも叶いそうです。
願掛け成就撫で牛納め|岩津天満宮
こちらは、弊社で製作した道明寺灯篭
灯篭の奥には合格祈願の絵馬がたくさん掛かっています。
〇〇高校 〇〇大学合格できますようにと力強い文字が並びます。
みんな合格できますように!
道明寺灯篭|岩津天満宮
なおらい前の「水掛け牛」は、毎年立春からの吉方を示します。
令和6年、神牛は北を向いています。こちらも弊社制作品です。
水掛け牛|岩津天満宮
願いを込めて牛に水を掛けます。
水掛け牛|岩津天満宮
拝殿の庭も、紅白の梅が見ごろでした。
梅|岩津天満宮
筆塚
書道の神様でもある天神様、毎年筆まつりも行われています。
早咲きの梅もあり、花びらが舞っていました。
筆塚|岩津天満宮
願掛け撫で牛と、梅紋の壁石
こちらは弊社にて奉納させていただきました。
撫で牛|岩津天満宮
ふと、苔の美しさに足を止めてしまいます。
境内苔|岩津天満宮
さて、石灯籠のたくさんある東山梅苑の紹介は次回に(N)
東山梅苑|岩津天満宮


石碑(忠魂碑)の改修工事をご紹介しています。
ここまでの工事について

既存の間知石(けんちいし)を据え直します。
区画広さ 改修前4.5m角→ 改修後3.5m角

間知石は、幅や高さ形もまちまちなので
石を選びながら並べ、一部の石を加工して全体の長さを調整します。
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重能褒野神社
間知石の上に据える石材(コーピン8本)は
現地でカットし、縮小後の区画の長さに合わせます。
石碑(忠魂碑)の改修工事|亀山能褒野神社
区画縮小後も、石の合わせ目が区画の中心になるように
コーピンの内々になる面を8本とも全てカットします。
石碑(忠魂碑)の改修工事|間知
玉垣(柱石)が立っていた箇所は埋め込み分の浅い角穴が開いています。
穴を隠す目的で、石材の天地向きを変えることも検討しましたが、表面加工がしていなかった為、既存の向きで再設置しました。
石碑(忠魂碑)の改修工事|コーピン
四隅にはステンレスL字金具を入れ
石が開かないように固定します。
石碑(忠魂碑)の改修工事|コーピンコーナー
セメント割れ防止の網を入れます。
石碑(忠魂碑)の改修工事|亀山能褒野神社
玉石の洗い出し仕上げにしました。
玉垣(柱石)のはめ込み穴は、落ち葉や土が溜まらないように塞いであります。
石碑(忠魂碑)の改修工事|亀山能褒野神社
本体の巻石にできていた目地の隙間
石碑(忠魂碑)の改修工事|目地埋め
セメントで埋めておきました。
石碑(忠魂碑)の改修工事|目地埋め
改修工事完了
基礎を強化して区画を縮小しました。
忠魂碑の改修工事|三重県亀山市能褒野神社

【改修前】
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
【改修後】区画を縮小し基礎を強化しました。
ヒビや傾きのあった玉垣(柱石)は取り外しました。
忠魂碑の改修工事|三重県亀山市能褒野神社
見た目も明るく、すっきりとしました。
忠魂碑の改修工事|三重県亀山市能褒野神社
ここ能褒野神社の忠魂碑には、工事期間中も近くで手を合わせる人、通路手前で一礼する方、お供えをする方の姿が連日ありました。

これからも安心して手を合わせていただきたいです。(N)




石碑(忠魂碑)の改修工事をご紹介します。
工事前に採寸と現状調査を行いました。

大正9年、今から約100年前に建てられた忠魂碑
石柱サイズ:62㎝角 高さ約320㎝ 重量3t
区画サイズ:450×450㎝
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
計測したところ、
石碑に傾きはなく垂直に立っています。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社

次に、石碑本体の基礎の状態を確認します。
本体石積みの下は、コンクリート基礎がありました。
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重
本体周りの、貼りモルタルの下は「グリ石」
と呼ばれる玉石が混ざった土が入っていました。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
石碑を囲っている石には、柱に亀裂のあるものや
石の合わせ目に隙間が生じている箇所がありました。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
囲っている石の根元を掘って
石の埋め込み具合や、基礎の状態を確認します。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
囲いの石は、土据え(どずえ)といって、
土を叩きしめた上に据えてあり基礎はありませんでした。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
改修工事は、これらの現状を踏まえて基礎の強化と
既存の石材を再利用して区画の縮小を行います。
区画全体4.5m角→3.5m角へ

基礎がなかった囲いの石材は、
一端全て取り外し、新たにコンクリート基礎を作ります。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
建立当時の本体のコンクリート基礎を囲むように土を掘ります。
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重能褒野神社
砕石を入れ叩きしめます
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重
メッシュを入れます
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重
生コンを流します
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重
このあと、囲いの石を並べ仕上げていきます。(N)








『忠魂碑(ちゅうこんひ)』をご存知でしょうか。
忠魂碑は、戦死者の氏名が刻まれた石碑の中でも、
日露戦争後に建立されたものが多く、慰霊碑とは区別し
戦死した兵士を称える意味合いが含まれます。
忠魂碑|三重能褒野神社
忠魂碑のある場所を検索すると、
今も全国に数多くあることが分かります。

忠魂碑の多くは、見上げるようなサイズで作られ、
中には、砲弾型のものも見られます。
小学校、公園、神社お寺などに建てられています。
戦時中、小学校にある忠魂碑には児童が登校する際、
一礼するよう指導され、教育的な側面もあったようです。

太平洋戦争後には、GHQの指導により
忠魂碑は戦争を賛美する象徴とみなされ、
多くは撤去や埋めたてを余儀なくされました。
碑を守る為、住民が山中へ運び隠した話も残っています。

昭和27年サンフランシスコ講和条約後には、
慰霊碑の建立が認められ、忠魂碑を地中から掘り出して再建したり復元されるものや、新たな建設も行われました。

三重県亀山市の能褒野神社にある忠魂碑は
総高さ5mと大きな石碑です。
忠魂碑|三重能褒野神社
大正9年1月建設
川﨑村在郷軍人分会が発起人と彫られています。
当時、在郷軍人会の地域ごとにある分会が中心となり
忠魂碑が各地に建設されました。
忠魂碑|三重能褒野神社
側面には、戦病死者氏名として
兵種 氏名・階級などが刻まれています。
忠魂碑|三重能褒野神社
・明治二十七八年役(日清戦争)
・大正七八年役
・昭和九年役
・日支事変(日中戦争)及び大東亜戦争
と戦争ごとに氏名が刻まれていました。

台石には、昭和三十三年 郷友会の文字もあり
戦後10年以上を経て、新たに氏名が刻まれた人もいたのではないでしょうか。
忠魂碑|三重能褒野神社
慰霊碑ではなく、「忠魂碑」と刻まれていることは、
戦争の歴史を残す貴重なものでもあります。

神社の近くには、終戦まで北伊勢陸軍飛行場があり、
戦局が厳しくなると、航空特攻の訓練場にもなっていたそうです。

能褒野神社の忠魂碑を調べる中で、
終戦直前8月2日に亀山で起きた、戦闘機による機関車銃撃事件を知りました。

記録を残し伝えることが、歴史を知るきっかけになればと思います。

戦勝祈願をして出兵し、国のためにと命を捧げた人が惜しまれます。
見送った親、兄弟、妻子の思いは想像しきれません。

弊社では昨年、こちらの忠魂碑の改修工事をさせていただきました。工事の様子は、また紹介します。(N)











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