木工職人さんが手掛けた格子を見に山中八幡宮(愛知県岡崎市)へ行ってきました。八幡宮の入口より手前に立つ常夜灯です。柱には『常夜灯』ではなく『常燈』と彫ってあり昼夜問わず灯りが灯っていたのでしょうか。

国道一号線から見える常夜灯(常燈?)は遠くから見ても大きなことが分かります。

天保四年(1833年)190年前の灯籠です。

この灯籠の受には正面に『萬歳』と刻まれていました。
常夜灯に刻まれた『萬歳』の文字は初めてみました。両手を上げるばんざいの意味ではなさそうなので調べてみると、読み方はばんぜい 長寿や長く栄えることの意味があるとのことで村の繁栄を願って彫られたのではないでしょうか。萬歳は今まで私が気が付かなかっただけで当時はポピュラーな彫刻で他にも見つけられるかもしれません。強い意志を感じる萬歳の文字。

秋葉山(静岡県浜松市)に近いことからか三河地域では秋葉信仰が盛んで石の産地である岡崎では現在も秋葉山の常夜燈が街道沿いに数多く残っています。秋葉山の常夜灯の場合には受の部分には秋葉山の文字が刻まれていたり、模様や紋などが刻まれることもありますが無地の場合も多いです。
『天保四年癸巳年 春三月吉日』春と刻むあたり今よりも季節の節目を喜び祝っていたのかもしれません。現代と異なる部分が見つかると、当時の人々の思いが垣間見れたようで歴史に触れた気がしてきます。新設する場合、お客様へは一般的なデザインや彫刻をお勧めしていますが、決まりきった言葉よりも自分たちの考えた言葉や文字のほうが思いを後世まで残せるように感じました。

山中八幡宮には徳川家康が三河一向一揆の際に、身を隠した洞窟があり、穴から二羽の鳩が出てきた姿を見た兵が『中に人かいるなら鳩がいるわけがない』と穴の中を探さなかったことで逃げ延びたという逸話があるそうです。後に鳩ケ窟と名付けられた洞窟が今も境内にあるそうです。このことから参道両脇の灯籠には鳩が二匹デザインされたり、徳川家の葵の紋がある灯籠が多くありました。

階段の両脇には石灯篭がたくさんあり、どうやってここまで運び上げたのだろうと要らぬ心配をしてしまいます。階段を上ると入口からはまったく見えない開けた社殿がありました。山全体が山中八幡宮といった感じで八幡宮が山で隠されているようでした。

鳥居が山中八幡宮への入口です。(N)
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天保四年(1833年)190年前の灯籠です。

この灯籠の受には正面に『萬歳』と刻まれていました。
常夜灯に刻まれた『萬歳』の文字は初めてみました。両手を上げるばんざいの意味ではなさそうなので調べてみると、読み方はばんぜい 長寿や長く栄えることの意味があるとのことで村の繁栄を願って彫られたのではないでしょうか。萬歳は今まで私が気が付かなかっただけで当時はポピュラーな彫刻で他にも見つけられるかもしれません。強い意志を感じる萬歳の文字。

秋葉山(静岡県浜松市)に近いことからか三河地域では秋葉信仰が盛んで石の産地である岡崎では現在も秋葉山の常夜燈が街道沿いに数多く残っています。秋葉山の常夜灯の場合には受の部分には秋葉山の文字が刻まれていたり、模様や紋などが刻まれることもありますが無地の場合も多いです。
『天保四年癸巳年 春三月吉日』春と刻むあたり今よりも季節の節目を喜び祝っていたのかもしれません。現代と異なる部分が見つかると、当時の人々の思いが垣間見れたようで歴史に触れた気がしてきます。新設する場合、お客様へは一般的なデザインや彫刻をお勧めしていますが、決まりきった言葉よりも自分たちの考えた言葉や文字のほうが思いを後世まで残せるように感じました。

山中八幡宮には徳川家康が三河一向一揆の際に、身を隠した洞窟があり、穴から二羽の鳩が出てきた姿を見た兵が『中に人かいるなら鳩がいるわけがない』と穴の中を探さなかったことで逃げ延びたという逸話があるそうです。後に鳩ケ窟と名付けられた洞窟が今も境内にあるそうです。このことから参道両脇の灯籠には鳩が二匹デザインされたり、徳川家の葵の紋がある灯籠が多くありました。

階段の両脇には石灯篭がたくさんあり、どうやってここまで運び上げたのだろうと要らぬ心配をしてしまいます。階段を上ると入口からはまったく見えない開けた社殿がありました。山全体が山中八幡宮といった感じで八幡宮が山で隠されているようでした。

鳥居が山中八幡宮への入口です。(N)
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