亀山駅前にあった大きな石鳥居が
亀山市歴史博物館(三重県亀山市)に展示保存されました。

能褒野神社と彫刻された扁額をメインに柱、貫、ツメも設置し
実物大のサイズを出来る限り残し、保存展示しています。
亀山駅前に建っていた石鳥居

駅前の再開発工事に伴い
今年2022年3月に解体されました。
道路の拡張などで過去に2度移設をし、当初より南へ南へ移動され
1986年からは駅前ロータリーに建っていました。
この大きさの石鳥居を、移設してまで大切にしてきた亀山の人たちの思い入れを感じます。

大正十五年に建てられた石鳥居は、岡崎産でした。

割った断面を見ると100年経っても変わらず
白い雲母がキラキラときれいな岡崎の白みかげ石です。

解体前の打ち合わせの帰り道に、伊勢名物の赤福というお菓子を買ってみました。
中に入っている『伊勢だより』というカードには
伊勢や三重の名所や文化などが紹介されています、
365日異なる絵柄が入っていて総数は、400とも500とも言われています。
そんな中入っていたのは能褒野神社!なんとも偶然。(2021年8月20日の伊勢だより)


ヤマトタケルは能褒野で亡くなったとされ日本武尊能褒野御墓は
現在も宮内庁に管理されています。
このお墓に隣接して建てられた神社が能褒野神社です。
鳥居の柱に彫刻された文字の中から『日本武尊』の部分を残すことになりました。

カットした断面も側面と同じようにノミで仕上げました。
直径58cmの柱

中貫という鳥居の柱の間に渡っていた石は長さ4800㎜あり、
現地で3つに割ってからトラックへ積み込みました。
工場で1800㎜の長さにカットし、カット面にノミを当てます。

カットした中貫は、展示区画背面の土留めとして再利用しています。

柱を両脇から挟んでいたツメは、中貫の上に置いてあります。
これは本来の配置と同じなので、中貫とツメは同じ厚みに揃っています。

今年3月に解体工事をしたときの様子。
大型のレッカークレーンを使って作業しました。


額のサイズは133cm×95cm 重量300㎏ありました。

額の文字は浅い彫刻でも十分に文字が見やすく、手書き文字が素敵です。

久邇宮邦彦王(香淳皇后(昭和天皇の后)の父)より
能褒野神社の御社号書が寄せられ
この書を扁額として大鳥居に掲げられたとのこと
2023.07追記

手で触れ、当時の職人の仕事が今も昔も変わらないことや
100年経ち岡崎の地に戻ってきていることを思い眺めていると、
やはり石は「残る」というのが石屋のやりがいの一つと感じました。
台石の合わせ加工をしたら再び亀山へ戻します。
100年前に岡崎で作られものが亀山で二度の移転を経て、
解体後再び岡崎へ戻り、再度亀山で設置されるとは、ずいぶん稀な石です。
このような石には、関わった人たちの思いが宿っている気がします。

展示用台石の加工を紹介します。
額の形に合わせて波型の溝を作ります。


額の底面のカーブに合わせて溝を彫りました。

額を支える背面の台石も、額の背面のカーブに合わせて石を削りました。

額と台石はピンを入れ固定しました。

亀山市歴史博物館の玄関横に展示されています。
保存展示していただけることは、石を扱うものとしても嬉しい限りです。

展示の後ろに見えている石は、亀山城の石坂門石垣と側溝の移設復元

石垣には刻印のある石もあり、石を積んだ後も刻印が見られるものが3個あるとのこと
こんな刻印を見つけました。


矢を使って石を割った跡が残っていました。


石垣の内側に入っていた裏込めに使われた石も、敷地にありました。

またお出かけの際には亀山の歴史に触れてみてください。(N)
亀山市歴史博物館(三重県亀山市)に展示保存されました。

能褒野神社と彫刻された扁額をメインに柱、貫、ツメも設置し
実物大のサイズを出来る限り残し、保存展示しています。
亀山駅前に建っていた石鳥居

駅前の再開発工事に伴い
今年2022年3月に解体されました。
道路の拡張などで過去に2度移設をし、当初より南へ南へ移動され
1986年からは駅前ロータリーに建っていました。
この大きさの石鳥居を、移設してまで大切にしてきた亀山の人たちの思い入れを感じます。

大正十五年に建てられた石鳥居は、岡崎産でした。

割った断面を見ると100年経っても変わらず
白い雲母がキラキラときれいな岡崎の白みかげ石です。

解体前の打ち合わせの帰り道に、伊勢名物の赤福というお菓子を買ってみました。
中に入っている『伊勢だより』というカードには
伊勢や三重の名所や文化などが紹介されています、
365日異なる絵柄が入っていて総数は、400とも500とも言われています。
そんな中入っていたのは能褒野神社!なんとも偶然。(2021年8月20日の伊勢だより)


ヤマトタケルは能褒野で亡くなったとされ日本武尊能褒野御墓は
現在も宮内庁に管理されています。
このお墓に隣接して建てられた神社が能褒野神社です。
鳥居の柱に彫刻された文字の中から『日本武尊』の部分を残すことになりました。

カットした断面も側面と同じようにノミで仕上げました。
直径58cmの柱

中貫という鳥居の柱の間に渡っていた石は長さ4800㎜あり、
現地で3つに割ってからトラックへ積み込みました。
工場で1800㎜の長さにカットし、カット面にノミを当てます。

カットした中貫は、展示区画背面の土留めとして再利用しています。

柱を両脇から挟んでいたツメは、中貫の上に置いてあります。
これは本来の配置と同じなので、中貫とツメは同じ厚みに揃っています。

今年3月に解体工事をしたときの様子。
大型のレッカークレーンを使って作業しました。


額のサイズは133cm×95cm 重量300㎏ありました。

額の文字は浅い彫刻でも十分に文字が見やすく、手書き文字が素敵です。

久邇宮邦彦王(香淳皇后(昭和天皇の后)の父)より
能褒野神社の御社号書が寄せられ
この書を扁額として大鳥居に掲げられたとのこと
2023.07追記

手で触れ、当時の職人の仕事が今も昔も変わらないことや
100年経ち岡崎の地に戻ってきていることを思い眺めていると、
やはり石は「残る」というのが石屋のやりがいの一つと感じました。
台石の合わせ加工をしたら再び亀山へ戻します。
100年前に岡崎で作られものが亀山で二度の移転を経て、
解体後再び岡崎へ戻り、再度亀山で設置されるとは、ずいぶん稀な石です。
このような石には、関わった人たちの思いが宿っている気がします。

展示用台石の加工を紹介します。
額の形に合わせて波型の溝を作ります。


額の底面のカーブに合わせて溝を彫りました。

額を支える背面の台石も、額の背面のカーブに合わせて石を削りました。

額と台石はピンを入れ固定しました。

亀山市歴史博物館の玄関横に展示されています。
保存展示していただけることは、石を扱うものとしても嬉しい限りです。

展示の後ろに見えている石は、亀山城の石坂門石垣と側溝の移設復元

石垣には刻印のある石もあり、石を積んだ後も刻印が見られるものが3個あるとのこと
こんな刻印を見つけました。


矢を使って石を割った跡が残っていました。


石垣の内側に入っていた裏込めに使われた石も、敷地にありました。

またお出かけの際には亀山の歴史に触れてみてください。(N)
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【杉田石材店】
TEL:0564-21-2871
杉田石材店ホームページ