岡崎石の公園団地の常夜灯に続いて紹介するのは、
豊橋市の一号線沿いにある常夜灯
この燈篭も岡崎のみかげ石で製作されています。


こちらも秋葉山の灯篭です。

作られたのは文化2年(1805)庶民に秋葉信仰が浸透し
常夜灯の建立が盛んになった時代です。

台座には『吉田中安全』と刻まれています。
この時代になると、秋葉信仰が秋葉講という互助組織から、町や村の信仰へと移っていきます。

この常夜灯は、城下の大火に対する安全祈願のために
吉田城の惣門(城の正門のような場所)に建てられました。
『新町の大燈籠』と吉田宿の名物になっていたそうです。
明治21年(1891)の濃尾地震で倒壊するも復旧
東南海地震(1944)と三河地震(1945)による倒壊
豊橋空襲(1945)6月
豊橋では市街地のほどんどが戦火に包まれました。
昭和55年(1980)豊橋公園内に再建し、
2001年に建立当時の位置に近い現在の場所に移転されたそうです。

破損も多く正面文字も欠けています。
『常』の両サイドにある文字は、おそらく『代』『永』

お寺へ寄進する場合、永代常夜灯は、火を灯す永代の油代を含めて寄進されたとされます。この場合は永代町内で管理していきます。という意味あいで、町内の安全とともに町の繁栄も祈願されたのではないでしょうか。
永代常夜灯と刻まれた灯篭は、時々見かけられます。
こちらは岡崎市明大寺にあったもの(2025年撤去されています)

豊橋市吉田の常夜灯は、豊橋を舞台としたライトノベル・アニメ
「負けヒロインが多すぎる!」にも登場します。
作中で常夜灯に灯りが点いているように、実際にも夜になると灯りが点きます。
この場所に残すために、灯篭の宝珠や火袋は
昭和55年の再建時に作り替えられています。
秋葉寺の定紋が彫刻された受には欠けがあります。

獅子の姿もあります。

柱や地輪には、破損が多く見られます。
地輪には、補修の合間から獅子が顔を出しています。

牡丹の彫刻でしょうか。

東三河の地域にも、秋葉山常夜灯が多く残っています。
この常夜灯は、豊橋の文化財として、八町の交差点で町を照らしています。(N)
豊橋市(戦争)に関連する記事↓
常夜灯に関連する記事↓
豊橋市の一号線沿いにある常夜灯
この燈篭も岡崎のみかげ石で製作されています。


こちらも秋葉山の灯篭です。

作られたのは文化2年(1805)庶民に秋葉信仰が浸透し
常夜灯の建立が盛んになった時代です。

台座には『吉田中安全』と刻まれています。
この時代になると、秋葉信仰が秋葉講という互助組織から、町や村の信仰へと移っていきます。

この常夜灯は、城下の大火に対する安全祈願のために
吉田城の惣門(城の正門のような場所)に建てられました。
『新町の大燈籠』と吉田宿の名物になっていたそうです。
明治21年(1891)の濃尾地震で倒壊するも復旧
東南海地震(1944)と三河地震(1945)による倒壊
豊橋空襲(1945)6月
豊橋では市街地のほどんどが戦火に包まれました。
昭和55年(1980)豊橋公園内に再建し、
2001年に建立当時の位置に近い現在の場所に移転されたそうです。

破損も多く正面文字も欠けています。
『常』の両サイドにある文字は、おそらく『代』『永』

お寺へ寄進する場合、永代常夜灯は、火を灯す永代の油代を含めて寄進されたとされます。この場合は永代町内で管理していきます。という意味あいで、町内の安全とともに町の繁栄も祈願されたのではないでしょうか。
永代常夜灯と刻まれた灯篭は、時々見かけられます。
こちらは岡崎市明大寺にあったもの(2025年撤去されています)

豊橋市吉田の常夜灯は、豊橋を舞台としたライトノベル・アニメ
「負けヒロインが多すぎる!」にも登場します。
作中で常夜灯に灯りが点いているように、実際にも夜になると灯りが点きます。
この場所に残すために、灯篭の宝珠や火袋は
昭和55年の再建時に作り替えられています。
秋葉寺の定紋が彫刻された受には欠けがあります。

獅子の姿もあります。

柱や地輪には、破損が多く見られます。
地輪には、補修の合間から獅子が顔を出しています。

牡丹の彫刻でしょうか。

東三河の地域にも、秋葉山常夜灯が多く残っています。
この常夜灯は、豊橋の文化財として、八町の交差点で町を照らしています。(N)
豊橋市(戦争)に関連する記事↓
常夜灯に関連する記事↓
*よろしければ、わたしたちのホームページもご覧になってください*
【杉田石材店】
TEL:0564-21-2871
杉田石材店ホームページ