岡崎市 老舗石屋㈱杉田石材店のブログ
石灯篭(とうろう)庭園・神社用など石製品の製造販売

【創業190余年の老舗石屋】国内最大級の在庫展示数 石灯篭(とうろう)水鉢など庭用石製品をはじめ、石製品全般取り扱っております。本格こだわりの手作り石灯篭(とうろう)をお探しの方は実際に見比べてください。工場では職人の制作風景もご覧いただけます。~心のかよう石づくり~をめざし見る人の心が豊かになるよう心を込めて造っております。これからも技術を絶え間なく積み重ねてまいります。当ブログでは石彫刻品 記念碑 石像 モニュメント等の製作過程や設置事例をはじめ石屋の日々をお伝えしております。

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石碑(忠魂碑)の改修工事をご紹介しています。
ここまでの工事について

既存の間知石(けんちいし)を据え直します。
区画広さ 改修前4.5m角→ 改修後3.5m角

間知石は、幅や高さ形もまちまちなので
石を選びながら並べ、一部の石を加工して全体の長さを調整します。
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重能褒野神社
間知石の上に据える石材(コーピン8本)は
現地でカットし、縮小後の区画の長さに合わせます。
石碑(忠魂碑)の改修工事|亀山能褒野神社
区画縮小後も、石の合わせ目が区画の中心になるように
コーピンの内々になる面を8本とも全てカットします。
石碑(忠魂碑)の改修工事|間知
玉垣(柱石)が立っていた箇所は埋め込み分の浅い角穴が開いています。
穴を隠す目的で、石材の天地向きを変えることも検討しましたが、表面加工がしていなかった為、既存の向きで再設置しました。
石碑(忠魂碑)の改修工事|コーピン
四隅にはステンレスL字金具を入れ
石が開かないように固定します。
石碑(忠魂碑)の改修工事|コーピンコーナー
セメント割れ防止の網を入れます。
石碑(忠魂碑)の改修工事|亀山能褒野神社
玉石の洗い出し仕上げにしました。
玉垣(柱石)のはめ込み穴は、落ち葉や土が溜まらないように塞いであります。
石碑(忠魂碑)の改修工事|亀山能褒野神社
本体の巻石にできていた目地の隙間
石碑(忠魂碑)の改修工事|目地埋め
セメントで埋めておきました。
石碑(忠魂碑)の改修工事|目地埋め
改修工事完了
基礎を強化して区画を縮小しました。
忠魂碑の改修工事|三重県亀山市能褒野神社

【改修前】
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
【改修後】区画を縮小し基礎を強化しました。
ヒビや傾きのあった玉垣(柱石)は取り外しました。
忠魂碑の改修工事|三重県亀山市能褒野神社
見た目も明るく、すっきりとしました。
忠魂碑の改修工事|三重県亀山市能褒野神社
ここ能褒野神社の忠魂碑には、工事期間中も近くで手を合わせる人、通路手前で一礼する方、お供えをする方の姿が連日ありました。

これからも安心して手を合わせていただきたいです。(N)




石碑(忠魂碑)の改修工事をご紹介します。
工事前に採寸と現状調査を行いました。

大正9年、今から約100年前に建てられた忠魂碑
石柱サイズ:62㎝角 高さ約320㎝ 重量3t
区画サイズ:450×450㎝
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
計測したところ、
石碑に傾きはなく垂直に立っています。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社

次に、石碑本体の基礎の状態を確認します。
本体石積みの下は、コンクリート基礎がありました。
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重
本体周りの、貼りモルタルの下は「グリ石」
と呼ばれる玉石が混ざった土が入っていました。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
石碑を囲っている石には、柱に亀裂のあるものや
石の合わせ目に隙間が生じている箇所がありました。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
囲っている石の根元を掘って
石の埋め込み具合や、基礎の状態を確認します。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
囲いの石は、土据え(どずえ)といって、
土を叩きしめた上に据えてあり基礎はありませんでした。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
改修工事は、これらの現状を踏まえて基礎の強化と
既存の石材を再利用して区画の縮小を行います。
区画全体4.5m角→3.5m角へ

基礎がなかった囲いの石材は、
一端全て取り外し、新たにコンクリート基礎を作ります。
忠魂碑石の改修工事|三重能褒野神社
建立当時の本体のコンクリート基礎を囲むように土を掘ります。
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重能褒野神社
砕石を入れ叩きしめます
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重
メッシュを入れます
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重
生コンを流します
石碑(忠魂碑)の改修工事|三重
このあと、囲いの石を並べ仕上げていきます。(N)








『忠魂碑(ちゅうこんひ)』をご存知でしょうか。
忠魂碑は、戦死者の氏名が刻まれた石碑の中でも、
日露戦争後に建立されたものが多く、慰霊碑とは区別し
戦死した兵士を称える意味合いが含まれます。
忠魂碑|三重能褒野神社
忠魂碑のある場所を検索すると、
今も全国に数多くあることが分かります。

忠魂碑の多くは、見上げるようなサイズで作られ、
中には、砲弾型のものも見られます。
小学校、公園、神社お寺などに建てられています。
戦時中、小学校にある忠魂碑には児童が登校する際、
一礼するよう指導され、教育的な側面もあったようです。

太平洋戦争後には、GHQの指導により
忠魂碑は戦争を賛美する象徴とみなされ、
多くは撤去や埋めたてを余儀なくされました。
碑を守る為、住民が山中へ運び隠した話も残っています。

昭和27年サンフランシスコ講和条約後には、
慰霊碑の建立が認められ、忠魂碑を地中から掘り出して再建したり復元されるものや、新たな建設も行われました。

三重県亀山市の能褒野神社にある忠魂碑は
総高さ5mと大きな石碑です。
忠魂碑|三重能褒野神社
大正9年1月建設
川﨑村在郷軍人分会が発起人と彫られています。
当時、在郷軍人会の地域ごとにある分会が中心となり
忠魂碑が各地に建設されました。
忠魂碑|三重能褒野神社
側面には、戦病死者氏名として
兵種 氏名・階級などが刻まれています。
忠魂碑|三重能褒野神社
・明治二十七八年役(日清戦争)
・大正七八年役
・昭和九年役
・日支事変(日中戦争)及び大東亜戦争
と戦争ごとに氏名が刻まれていました。

台石には、昭和三十三年 郷友会の文字もあり
戦後10年以上を経て、新たに氏名が刻まれた人もいたのではないでしょうか。
忠魂碑|三重能褒野神社
慰霊碑ではなく、「忠魂碑」と刻まれていることは、
戦争の歴史を残す貴重なものでもあります。

神社の近くには、終戦まで北伊勢陸軍飛行場があり、
戦局が厳しくなると、航空特攻の訓練場にもなっていたそうです。

能褒野神社の忠魂碑を調べる中で、
終戦直前8月2日に亀山で起きた、戦闘機による機関車銃撃事件を知りました。

記録を残し伝えることが、歴史を知るきっかけになればと思います。

戦勝祈願をして出兵し、国のためにと命を捧げた人が惜しまれます。
見送った親、兄弟、妻子の思いは想像しきれません。

弊社では昨年、こちらの忠魂碑の改修工事をさせていただきました。工事の様子は、また紹介します。(N)











引っ越した石鳥居の再設置工事をご紹介しています。
これまでの記事は → ①鳥居移設前や設置準備 ②柱と貫の設置 
石鳥居の笠石を設置します。
石鳥居移設(移動)工事笠石|能褒野神社
解体時には、ピンが入っていなかったので、
笠石の底面に、ドリルで穴をあけます。
石鳥居移設(移動)工事笠石|能褒野神社
柱の天面にあけた穴に
石鳥居移設(移動)工事|能褒野神社
ピンを立て、笠石がズレないようにします。
石鳥居移設(移動)工事笠石|能褒野神社
笠石 幅738㎝ 重量4.2t
神明型の鳥居は通常1本の石で作られています。
石鳥居移設(移動)工事笠石|能褒野神社
笠石をクレーンで吊って、柱の上に乗せます。
石鳥居移設(移動)工事笠石|能褒野神社
ピンを笠石の穴に差します。
石鳥居移設(移動)工事|能褒野神社
接合面の仕上げをします。
石鳥居移設(移動)工事笠石|能褒野神社
石鳥居移設(移動)工事笠石|能褒野神社
これで、石材の再設置は完了です。
鳥居の脇にある桜が咲く頃は、より素敵な景色になりそうです。
石鳥居移設(移動)工事笠石|能褒野神社
【移設前】
旧東海道沿いに建っていた鳥居(亀山市歴史博物館のHPより↓)
沓石はほとんどアスファルトに埋まっていました。
能褒野神社二の鳥居(亀山市栄町)
【移設後】
鳥居のサイズが、参道の幅にも、丁度良く納まりました。
参道の奥には、東側の入口にある鳥居が見えています。
石鳥居|能褒野神社
石鳥居|能褒野神社
大正15年に建てられた鳥居は、
岡崎のみかげ石で作られていました。
石鳥居文字|能褒野神社
能褒野神社には、日本武尊が祭られており
ヤマトタケルの御墓にも隣接していることから、
石鳥居の柱には「日本武尊」と刻まれています。
石鳥居文字|能褒野神社
宮司様をはじめ、地元亀山の業者様にご協力いただき、
秋祭りまでに工事を終えることができました。感謝申し上げます(N)













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