岡崎市 老舗石屋㈱杉田石材店のブログ
石灯篭(とうろう)庭園・神社用など石製品の製造販売

【創業190余年の老舗石屋】国内最大級の在庫展示数 石灯篭(とうろう)水鉢など庭用石製品をはじめ、石製品全般取り扱っております。本格こだわりの手作り石灯篭(とうろう)をお探しの方は実際に見比べてください。工場では職人の制作風景もご覧いただけます。~心のかよう石づくり~をめざし見る人の心が豊かになるよう心を込めて造っております。これからも技術を絶え間なく積み重ねてまいります。当ブログでは石彫刻品 記念碑 石像 モニュメント等の製作過程や設置事例をはじめ石屋の日々をお伝えしております。

タグ:常夜灯

常夜灯の話をしていると、
「この模様って何か知ってる?」と聞かれました。
卍模様(万字)の彫刻|常夜灯
なんだろう、細かい幾何学的な模様だなと思っていました。

これは『卍模様』(紗綾形模様)といって
縁起が良いのだと教えてもらいました。
卍模様(万字)の彫刻|常夜灯
「卍」の先端をそれぞれ伸ばして連続させた模様です。

切れ目がなく、絶えなく続いていく、長久の意味から、
繁栄や長寿の縁起の良い模様なのだそうです。
吉祥模様として白無垢にも使われています。

着物以外にも、大岡越前の水色と白色の襖もこの模様
知らぬうちに目にしているかもしれません。

以前、『萬歳(ばんぜい』と漢字で刻まれた灯篭を紹介しました。
萬歳|常夜灯
これも卍模様と同様の長寿や繁栄を意味します。

常夜灯には、平和な世の中が続くようにという
当時の人々の願いが込められていることに感動します。

秋葉山の常夜灯は、この部分が無地だったり、
秋葉山の文字や紋が彫刻されることもあります。

例外的に豪華な秋葉山の文字
この豪華さの訳は、またご紹介します。
〈花崗町の常夜灯〉
秋葉山常夜灯の文字
こちらは秋葉山の定紋が彫られています。
〈岡崎市明大寺の常夜灯〉
秋葉山常夜灯の紋
この縦縞の彫刻は、卍模様を簡略化していった面影なのかも?
それは考えすぎかと、念のため調べてみると
縦じまも、子孫繁栄の縁起模様でした。
太い縞と細い縞を親と子に見立てるのだそうです。
〈豊橋市吉田の常夜灯〉
常夜灯受の彫刻(豊橋市吉田)
文政2年建立のこの常夜灯に彫られた縦縞は、
縦縞の美意識が流行した文化文政時代という
背景も影響しているのかもしれません。

火袋に彫られる縦縞は、
建物の格子を表現していると考えられますが
受(うけ)の場合は、縁起模様なのかなと考えています。

灯篭の彫刻の意味を知り、
当時の人々の願いに気が付けました。
『常夜灯』には、現代の私たちの想像以上に思いが込められているようです。(N)

常夜灯に関連する記事↓


 












岡崎石の公園団地の常夜灯に続いて紹介するのは、
豊橋市の一号線沿いにある常夜灯
この燈篭も岡崎のみかげ石で製作されています。
常夜灯|豊橋 (5)
常夜灯|豊橋説明看板
こちらも秋葉山の灯篭です。
常夜灯|豊橋 (2)
作られたのは文化2年(1805)庶民に秋葉信仰が浸透し
常夜灯の建立が盛んになった時代です。
常夜灯|豊橋文化年号
台座には『吉田中安全』と刻まれています。
この時代になると、秋葉信仰が秋葉講という互助組織から、町や村の信仰へと移っていきます。
常夜灯|吉田中安全
この常夜灯は、城下の大火に対する安全祈願のために
吉田城の惣門(城の正門のような場所)に建てられました。
『新町の大燈籠』と吉田宿の名物になっていたそうです。

明治21年(1891)の濃尾地震で倒壊するも復旧
東南海地震(1944)と三河地震(1945)による倒壊
豊橋空襲(1945)6月
豊橋では市街地のほどんどが戦火に包まれました。

昭和55年(1980)豊橋公園内に再建し、
2001年に建立当時の位置に近い現在の場所に移転されたそうです。
吉田中安全秋葉山常夜灯|豊橋説明
破損も多く正面文字も欠けています。
『常』の両サイドにある文字は、おそらく『代』『永』
永代常夜灯|豊橋 (3)
お寺へ寄進する場合、永代常夜灯は、火を灯す永代の油代を含めて寄進されたとされます。この場合は永代町内で管理していきます。という意味あいで、町内の安全とともに町の繁栄も祈願されたのではないでしょうか。

永代常夜灯と刻まれた灯篭は、時々見かけられます。
こちらは岡崎市明大寺にあったもの(2025年撤去されています)
明大寺秋葉山永代常夜灯

豊橋市吉田の常夜灯は、豊橋を舞台としたライトノベル・アニメ
「負けヒロインが多すぎる!」にも登場します。
作中で常夜灯に灯りが点いているように、実際にも夜になると灯りが点きます。

この場所に残すために、灯篭の宝珠や火袋は
昭和55年の再建時に作り替えられています。
秋葉寺の定紋が彫刻された受には欠けがあります。
常夜灯|豊橋
獅子の姿もあります。
常夜灯地輪|豊橋
柱や地輪には、破損が多く見られます。
地輪には、補修の合間から獅子が顔を出しています。
常夜灯地輪|豊橋 (3)
牡丹の彫刻でしょうか。
常夜灯地輪|豊橋 (2)
東三河の地域にも、秋葉山常夜灯が多く残っています。
この常夜灯は、豊橋の文化財として、八町の交差点で町を照らしています。(N)

豊橋市(戦争)に関連する記事↓

常夜灯に関連する記事↓
 







杉田石材店は、石屋が集まる団地の中にあります。
石の公園団地|岡崎稲熊
団地の入口には「常夜灯」という石灯篭が建っています。
石の公園団地入口常夜灯|2016年撮影
(2016年4月撮影↑)
よく見ると、この燈篭には破損があります。
常夜灯|石の公園団地
笠の先端にある「蕨手(わらびて)」という
くるんとなっている箇所が欠損していたり、補修した跡も見られます。
常夜灯|石の公園団地
なぜ、欠けた石灯篭があるのか?
修理したり、撤去したりせずに建っているのか。
しかも、石屋の集まる団地の入口、石碑の横の目立つ場所に。

これにも、意味がありました。
石碑に刻まれた常夜燈の由来をご紹介します。
常夜灯由来碑
この燈篭、実は文政5年(1822年)に作られた常夜灯です。
石の公園団地が設立された50年前よりも、ずっと古い200年前です。

文政五年(1822年)に連尺町で創建されました。
(岡崎石製品協同組合連合会組合設立100年記念誌より)
文政時代に作られた常夜灯
岡崎市内で、はじめて秋葉講による常夜灯が建立されたのは寛政2年(1790)、この燈篭が建てられた文政期には町や村の信仰として秋葉信仰は庶民に広がっていきました。信仰の浸透とともに、石の産地である岡崎では、常夜灯の建立も盛んになっていきました。

今でも三河地域には秋葉山の常夜灯が街道沿いに多く残っています。
秋葉信仰は江戸時代から変わらず人々の身近な信仰の一つです。
地域の神社には秋葉山の祠があり、代参した方からお札が各戸へ配布されています。
常夜灯|石の公園団地
碑には、秋葉信仰と常夜灯についても刻まれていました。

『元来 秋葉神社は防火の神様であり
常夜灯と火事とは深いつながりがあり
日本人の生活の中で庶民生活の安寧を願う心が
火を崇める民衆の素朴な信仰心と結びついたもので有り
常夜灯に火を点して町の辻を明るくしようとした生活の知恵といえよう』

岡崎歳時記によると、その後、天保二年(1831年)に
出火の被害にあったと記されています。
そして、弘化元年(1844年)に再建されています。

灯篭の柱には、その説明の文字が刻まれています。
文政時代の創建と天保の再建
その後、昭和20年7月
市内の3分の1以上の家が焼失した岡崎空襲にあいます。
空襲により笠が破損してしまいます。
常夜灯|石の公園団地
昭和24年 戦災復興整理事業により南西の本町へ移転されました。
その後、昭和48年市街地再開発事業の為、更に移転せざるを得なくなってしまいます。
撤去されることなく、移転し残り続ける灯篭。
この燈篭がずっと大切にされ続けているのが伝わります。

その頃、石の公園団地が設立され、団地の建設にあたり移転先となったようです。

由緒碑によると、
『岡崎石工業界の先覚者裏町石工久七と其の一門の傑作にて
庶民の歴史と貴重な文化遺産を団地建設に当り
現状破損多きも当時を偲び末長く後世に傳え
災害難除と団地の繫栄祈願の為めここに建立する』とありました。
常夜灯|石の公園団地
この破損も歴史を残す遺産でした。
丁寧に作られれいる石灯篭も岡崎の文化を残す貴重なものです。
常夜灯|石の公園団地
建立の経緯を知らずに素通りしていた灯篭に
そんな思いがあるとは、知りませんでした。

災害難除と団地の繫栄祈願のおかげで、
団地ができて52年が経っています。(N)

常夜灯に関連する記事↓ (こちらも岡崎の石です。)







 









木工職人さんが手掛けた格子を見に山中八幡宮(愛知県岡崎市)へ行ってきました。八幡宮の入口より手前に立つ常夜灯です。柱には『常夜灯』ではなく『常燈』と彫ってあり昼夜問わず灯りが灯っていたのでしょうか。
常夜燈|山中八幡宮(岡崎市) (4)
国道一号線から見える常夜灯(常燈?)は遠くから見ても大きなことが分かります。
常夜燈|山中八幡宮(岡崎市) (1)
天保四年(1833年)190年前の灯籠です。
常夜燈|山中八幡宮(岡崎市) (3)
この灯籠の受には正面に『萬歳』と刻まれていました。
常夜灯に刻まれた『萬歳』の文字は初めてみました。両手を上げるばんざいの意味ではなさそうなので調べてみると、読み方はばんぜい 長寿や長く栄えることの意味があるとのことで村の繁栄を願って彫られたのではないでしょうか。萬歳は今まで私が気が付かなかっただけで当時はポピュラーな彫刻で他にも見つけられるかもしれません。強い意志を感じる萬歳の文字。
常夜燈|山中八幡宮(岡崎市) (2)
秋葉山(静岡県浜松市)に近いことからか三河地域では秋葉信仰が盛んで石の産地である岡崎では現在も秋葉山の常夜燈が街道沿いに数多く残っています。秋葉山の常夜灯の場合には受の部分には秋葉山の文字が刻まれていたり、模様や紋などが刻まれることもありますが無地の場合も多いです。
『天保四年癸巳年 春三月吉日』春と刻むあたり今よりも季節の節目を喜び祝っていたのかもしれません。現代と異なる部分が見つかると、当時の人々の思いが垣間見れたようで歴史に触れた気がしてきます。新設する場合、お客様へは一般的なデザインや彫刻をお勧めしていますが、決まりきった言葉よりも自分たちの考えた言葉や文字のほうが思いを後世まで残せるように感じました。
常夜燈|山中八幡宮(岡崎市) (3)
山中八幡宮には徳川家康が三河一向一揆の際に、身を隠した洞窟があり、穴から二羽の鳩が出てきた姿を見た兵が『中に人かいるなら鳩がいるわけがない』と穴の中を探さなかったことで逃げ延びたという逸話があるそうです。後に鳩ケ窟と名付けられた洞窟が今も境内にあるそうです。このことから参道両脇の灯籠には鳩が二匹デザインされたり、徳川家の葵の紋がある灯籠が多くありました。
山中八幡宮灯籠鳩
階段の両脇には石灯篭がたくさんあり、どうやってここまで運び上げたのだろうと要らぬ心配をしてしまいます。階段を上ると入口からはまったく見えない開けた社殿がありました。山全体が山中八幡宮といった感じで八幡宮が山で隠されているようでした。
常夜燈|山中八幡宮(岡崎市) (5)
鳥居が山中八幡宮への入口です。(N)

常夜灯に関連する記事↓


 

神社には古い石灯篭が多く残っています。
時々見かけるのが、台石に隙間ができて灯篭本体が傾いてしまっている燈籠です。↓
燈籠傾き直し|神社石灯籠
一番下の台石は四つの石を組み合わせて作られています。(再設置時の写真です↓)
燈籠傾き直し|神社石灯籠 台石の組合せ
本来は4つの石すべてに上の石が乗っていないといけません。
工事前は③の石が内側へ傾いてしまい④と②も水平で無いために上の石が傾いてしまっていました。台石が水平でなくなると上に乗っている燈籠は傾いてしまいます。
燈籠傾き直し|神社石灯籠 台石の隙間
このように台石に隙間ができて少し傾いている燈籠は重心がずれてしまい倒れやすい状態になっています。石の上に人が乗ることにより重心が更にずれる可能性もあります。傾きが大きくなると石の落下に繋がります。また地震などの揺れにも弱くなっています。

石自体に問題がなければ、灯篭を一度解体して基礎工事をして同じ位置に立て直すことが出来ます。

傾いていた燈籠の基礎工事をやり直し、燈籠を再設置した様子をご紹介します。
地盤に応じて杭を入れます。
燈籠傾き直し|神社石灯籠 再設置工事
砕石を入れランマー(てん圧機)で叩き締めコンクリートを入れた上に台石を水平に設置します。
燈籠傾き直し|神社石灯籠 台石設置
内側にも砕石とセメントを入れ燈籠土台を据え直します。
燈籠傾き直し|神社石灯籠再設置工事
燈籠に付いていたセメントは取り除きます。
燈籠傾き直し|神社石灯籠 セメント掃除
再設置後
燈籠傾き直し|神社石灯籠再設置後1
本来の姿に戻りました。
燈籠傾き直し|神社石灯籠再設置後2
石に隙間ができる原因は、地盤による地面の変化や基礎工事のやり方が考えられます、例えば長い年月の中での雨や小さな地震の繰り返しなどで地面が下がってしまい石が動いてしまうことがあります。水はけの悪い場所や粘土質の地盤も傾きが生じやすいです。傾きが生じると自然に元に戻ることはありません。小さなきっかけで倒れてしまう危険性があります。

傾いている燈籠はなるべく早く再設置するほうが安心です。
工事がすぐにできない場合には人が近づかないように案内をしたり、状態によってはロープや柵の設置など対策をすることをお勧めいたします。古い灯篭や傾きが心配な場合にはご相談ください、安心して参拝できるようにご提案いたします。(N)




↑このページのトップヘ