岡崎市 老舗石屋㈱杉田石材店のブログ
石灯篭(とうろう)庭園・神社用など石製品の製造販売

【創業190余年の老舗石屋】国内最大級の在庫展示数 石灯篭(とうろう)水鉢など庭用石製品をはじめ、石製品全般取り扱っております。本格こだわりの手作り石灯篭(とうろう)をお探しの方は実際に見比べてください。工場では職人の制作風景もご覧いただけます。~心のかよう石づくり~をめざし見る人の心が豊かになるよう心を込めて造っております。これからも技術を絶え間なく積み重ねてまいります。当ブログでは石彫刻品 記念碑 石像 モニュメント等の製作過程や設置事例をはじめ石屋の日々をお伝えしております。

タグ:歴史調べ

私たちは、道祖神を製造販売しています。
「自宅に置いてもいいですか?」と、
お問合せを受けることもある「道祖神」についてお話します。
道祖神|製作販売
道祖神といえば、安曇野をはじめ、信州のイメージが強いですが
調べてみると、神奈川、群馬、山梨 静岡にも多く分布しています。

長野県に接している愛知県の北部では、一部見られますが、
石の産地である岡崎をはじめ、県内では古い道祖神を目にすることはありません。

道祖神の文化は、愛知県全域に広がらなかったようです。
各地域を治めていた藩の影響なのか、
高遠の石仏も、愛知県には北部にしか見られず、県内全域には広がっていません。
石工の集団も藩お抱えの存在だったのか、文化的な交流が少なかったのでしょうか。

各地に存在する道祖神は、
意味合いを一つに絞ることが難しいようです。
例えば、

◎飢餓に苦しむ村では、
豊作を祈願して、祈りをささげるために作られた
作神(さくがみ)
※地域によっては、蚕の神様などもあったようです。

◎疫病が広まることは、
科学や医療が発展していない時代には、恐れられていたことでしょう。
村の存続にも関わる危機意識が、強かったと想像できます。
村の入口に疫病や悪霊が入ってこないよう
「塞ぐ」という意味合いの『塞の神』が作られたことは自然なことでしょう。
岐の神(ふなどのかみ) 


◎性神
子孫繁栄への祈りから、夫婦和合など
盃と徳利の祝言を表す姿や、男女が握手をしているもの、
肩を抱いたものも多くあります。
道祖神|祝言道祖神製作販売

私たちが作っている道祖神は「双体道祖神」といって
男女が並んでいる姿を彫刻することが多いです。
二人が寄り添っている姿はほほえましく、周りの空気をあたたかくさせます。
道祖神|双体道祖神製作販売
「道祖神」と文字を彫刻することもあります。
道祖神|文字道祖神製作販売

江戸時代には、一部の地域で
村が繁栄すると、その村の道祖神が盗まれる
「道祖神の嫁入り」という行為があったそうです。
盗むことを、嫁入りと言い換えているのも、身勝手な言い訳のような。

盗むことが公然と行われていた。ただし、勝手に盗むのではなく、
人間の嫁入り同様に、結納金を納めて、道祖神を連れてきて
嫁入りと同様にもてなされ、歓迎されたそうです。

立場が変われば、村にとっては、大切な道祖神は手放したくない。
そこで盗難防止のために、
石に「帯代5拾両」など、大袈裟に刻み、嫁入りを抑止していた話も残っているそうです。
(信州朝日村の道祖神)

多くの道祖神は、無病息災、五穀豊穣、夫婦和合、子孫繁栄、縁結び
村や旅人の安全祈願まで、さまざまな願いで置かれてきたようです。

これらは、自分たちをはじめ、祖先が生き残っていくために、
『祈り』があったからではないでしょうか。
病気や食料危機などの不安を回避し、
子孫を残していくことは、本能的な心理かもしれません。

道祖神は、身近な神様として地域の人々に大切に受け継がれてきました。
先人の心を癒し、現代を生きる私たちの心も、変わらず癒してくれています。

『祈る』ことで、不安が解消され安心する。
これは前向きに生きる知恵とも言えそうです。

ご自宅に道祖神を置くことは、意味合いとしても
無病息災 夫婦和合などに当てはまります。
お家に悪いものが入らないように、守り神としても良さそうです。

ほほえましい姿を毎日眺めているだけで、
やさしい気持ちになれそうです(N)

参考文献 道祖神のふるさと 伊藤堅吉 遠藤秀男 著書

『忠魂碑(ちゅうこんひ)』をご存知でしょうか。
忠魂碑は、戦死者の氏名が刻まれた石碑の中でも、
日露戦争後に建立されたものが多く、慰霊碑とは区別し
戦死した兵士を称える意味合いが含まれます。
忠魂碑|三重能褒野神社
忠魂碑のある場所を検索すると、
今も全国に数多くあることが分かります。

忠魂碑の多くは、見上げるようなサイズで作られ、
中には、砲弾型のものも見られます。
小学校、公園、神社お寺などに建てられています。
戦時中、小学校にある忠魂碑には児童が登校する際、
一礼するよう指導され、教育的な側面もあったようです。

太平洋戦争後には、GHQの指導により
忠魂碑は戦争を賛美する象徴とみなされ、
多くは撤去や埋めたてを余儀なくされました。
碑を守る為、住民が山中へ運び隠した話も残っています。

昭和27年サンフランシスコ講和条約後には、
慰霊碑の建立が認められ、忠魂碑を地中から掘り出して再建したり復元されるものや、新たな建設も行われました。

三重県亀山市の能褒野神社にある忠魂碑は
総高さ5mと大きな石碑です。
忠魂碑|三重能褒野神社
大正9年1月建設
川﨑村在郷軍人分会が発起人と彫られています。
当時、在郷軍人会の地域ごとにある分会が中心となり
忠魂碑が各地に建設されました。
忠魂碑|三重能褒野神社
側面には、戦病死者氏名として
兵種 氏名・階級などが刻まれています。
忠魂碑|三重能褒野神社
・明治二十七八年役(日清戦争)
・大正七八年役
・昭和九年役
・日支事変(日中戦争)及び大東亜戦争
と戦争ごとに氏名が刻まれていました。

台石には、昭和三十三年 郷友会の文字もあり
戦後10年以上を経て、新たに氏名が刻まれた人もいたのではないでしょうか。
忠魂碑|三重能褒野神社
慰霊碑ではなく、「忠魂碑」と刻まれていることは、
戦争の歴史を残す貴重なものでもあります。

神社の近くには、終戦まで北伊勢陸軍飛行場があり、
戦局が厳しくなると、航空特攻の訓練場にもなっていたそうです。

能褒野神社の忠魂碑を調べる中で、
終戦直前8月2日に亀山で起きた、戦闘機による機関車銃撃事件を知りました。

記録を残し伝えることが、歴史を知るきっかけになればと思います。

戦勝祈願をして出兵し、国のためにと命を捧げた人が惜しまれます。
見送った親、兄弟、妻子の思いは想像しきれません。

弊社では昨年、こちらの忠魂碑の改修工事をさせていただきました。工事の様子は、また紹介します。(N)











夏休みの自由研究に、近所の神社やお寺へ
出かけてみてはいかがですか?

実験や観察が苦手な子に、お勧めの自由研究は
近所を探検する「歴史調査」です!

夏休み自由研究|神社(お寺)の石調べ
神社やお寺には、文字が刻まれた石が多くあります。
石に刻まれた文字を調べてみると、
知らなかった地元の歴史が、発見できるかもしれません。
夏休み自由研究|神社(お寺)の石調べ
例えば灯籠に彫ってある言葉には
「奉納」「献燈」「奉賛」「常夜燈」「秋葉山」「御神燈」など
子どもたちには、聞きなれない言葉があります。

・書いてある文字は?
・どんな意味があるのか?
・なぜ、この文字が彫ってあるのか?

この灯籠には、珍しい文字が彫ってありました。
夏休み自由研究|神社(お寺)の石調べ
これは奉奠(ほうてん)= 神様にささげる、という意味があります。
普段使わない言葉を調べてみるのもいいですね。

灯篭や台石の後ろ面には
年号(建てられた年、月)や寄進者(人の名前や団体名)が彫ってあります。

・いつ建てられたのか(何年前か)
・どんな時代だったのか
・誰が建てたのか
・何のために建てられたのか

当時の人々の気持ちを考えてみるのも面白いです。

※上の写真と、下の写真は別の灯籠です。
安政四丁巳年 八月吉日 と刻まれています。(安政4年は166年前 江戸時代)
夏休み自由研究|神社(お寺)の石調べ
現代では使われない漢字や、
知らない言葉が見つかるかもしれません。

【調べ方と調査方法】
・近くの神社を何件か回って比べてみる
・旅行先で調べてみる

◎お寺や神社の人、地域に昔から暮らしている人に取材する
「自由研究で調査しています!教えてください」と
質問してみてください。
きっと、喜んで教えてくれると思います。

◎図書館や歴史資料館、博物館などで資料を探す
・地域の風土記
・古い地図

◎詳しい人に聞いてみる
・博物館の館長さんや、学芸員さんなど
・地域の歴史研究会などを探してみる(郷土の歴史を調査している方など)
・インスタにもマニアックな資料があったりします

神社やお寺に関する内容が、書かれているかもしれません。

せっかくの自由研究の機会を
親子で楽しんでみては、いかがでしょうか
歴史調べの報告もお待ちしております!(N)

※斜めになっている石や、土台に隙間ができているもの、石が崩れているものは、危険な場合があります。石にもたれたり、登ったりせず安全に調査してください。2025.7追記

【忠魂碑 戦争の歴史を調べる】


【石灯籠の歴史を調べる】




【石で絵の具作り】



【磁石にくっつく石探し】


【石の加工もお手伝いします】






↑このページのトップヘ