
団地の入口には「常夜灯」という石灯篭が建っています。

(2016年4月撮影↑)
よく見ると、この燈篭には破損があります。

笠の先端にある「蕨手(わらびて)」という
くるんとなっている箇所が欠損していたり、補修した跡も見られます。

なぜ、欠けた石灯篭があるのか?
修理したり、撤去したりせずに建っているのか。
しかも、石屋の集まる団地の入口、石碑の横の目立つ場所に。
これにも、意味がありました。
石碑に刻まれた常夜燈の由来をご紹介します。

この燈篭、実は文政5年(1822年)に作られた常夜灯です。
石の公園団地が設立された50年前よりも、ずっと古い200年前です。
文政五年(1822年)に連尺町で創建されました。
(岡崎石製品協同組合連合会組合設立100年記念誌より)

岡崎市内で、はじめて秋葉講による常夜灯が建立されたのは寛政2年(1790)、この燈篭が建てられた文政期には町や村の信仰として秋葉信仰は庶民に広がっていきました。信仰の浸透とともに、石の産地である岡崎では、常夜灯の建立も盛んになっていきました。
今でも三河地域には秋葉山の常夜灯が街道沿いに多く残っています。
秋葉信仰は江戸時代から変わらず人々の身近な信仰の一つです。
地域の神社には秋葉山の祠があり、代参した方からお札が各戸へ配布されています。

碑には、秋葉信仰と常夜灯についても刻まれていました。
『元来 秋葉神社は防火の神様であり
常夜灯と火事とは深いつながりがあり
日本人の生活の中で庶民生活の安寧を願う心が
火を崇める民衆の素朴な信仰心と結びついたもので有り
常夜灯に火を点して町の辻を明るくしようとした生活の知恵といえよう』
岡崎歳時記によると、その後、天保二年(1831年)に
出火の被害にあったと記されています。
そして、弘化元年(1844年)に再建されています。
灯篭の柱には、その説明の文字が刻まれています。

その後、昭和20年7月
市内の3分の1以上の家が焼失した岡崎空襲にあいます。
空襲により笠が破損してしまいます。

昭和24年 戦災復興整理事業により南西の本町へ移転されました。
その後、昭和48年市街地再開発事業の為、更に移転せざるを得なくなってしまいます。
撤去されることなく、移転し残り続ける灯篭。
この燈篭がずっと大切にされ続けているのが伝わります。
その頃、石の公園団地が設立され、団地の建設にあたり移転先となったようです。
由緒碑によると、
『岡崎石工業界の先覚者裏町石工久七と其の一門の傑作にて
庶民の歴史と貴重な文化遺産を団地建設に当り
現状破損多きも当時を偲び末長く後世に傳え
災害難除と団地の繫栄祈願の為めここに建立する』とありました。

この破損も歴史を残す遺産でした。
丁寧に作られれいる石灯篭も岡崎の文化を残す貴重なものです。

建立の経緯を知らずに素通りしていた灯篭に
そんな思いがあるとは、知りませんでした。
災害難除と団地の繫栄祈願のおかげで、
団地ができて52年が経っています。(N)
常夜灯に関連する記事↓ (こちらも岡崎の石です。)


















