岡崎市 老舗石屋㈱杉田石材店のブログ
石灯篭(とうろう)庭園・神社用など石製品の製造販売

【創業190余年の老舗石屋】国内最大級の在庫展示数 石灯篭(とうろう)水鉢など庭用石製品をはじめ、石製品全般取り扱っております。本格こだわりの手作り石灯篭(とうろう)をお探しの方は実際に見比べてください。工場では職人の制作風景もご覧いただけます。~心のかよう石づくり~をめざし見る人の心が豊かになるよう心を込めて造っております。これからも技術を絶え間なく積み重ねてまいります。当ブログでは石彫刻品 記念碑 石像 モニュメント等の製作過程や設置事例をはじめ石屋の日々をお伝えしております。

タグ:秋葉山

石の産地である岡崎に、今も残る常夜灯を紹介します。
岡崎市花崗町の常夜燈
文化10年(1813)200年以上前に作られています。
花崗町公民館常夜灯 (1)
三河地震や岡崎空襲で破損したのか、
笠と火袋もなく、明かりを灯す灯篭の役割は果たせません。
隣の常夜灯は、縮小版で復元なのかもしれません。

先代からも「あれは、いい常夜燈だから」と
聞いてはいたけれど、間近で見てみると
とにかく石工の技術が素晴らしい!
花崗町公民館常夜灯 (1)正面
こんなに彫刻が施された常夜灯は、滅多にありません。

【受の正面】龍と秋葉山の定紋
花崗町常夜灯|受正面龍と剣花菱
受は3.5尺幅(106㎝)
現代のように電動工具がない時代に、
ここまで作り上げる石工の技術は、岡崎の自慢できるところです。
花崗町常夜灯|受正面龍と剣花菱
秋葉山の文字
常夜燈秋葉山の文字彫刻
まず、外枠と文字は同じ深さでビシャンで仕上げます。
背景の雲は、更に彫り下げた面に彫刻しています。
写真を拡大してみると、線状のノミ跡が残っています。
常夜燈秋葉山の文字彫刻
ノミ跡を見ると、どんなふうに彫っていったのか
職人の製作工程が想像できるのだそうです。
先の曲がったノミも使わないと、
ノミを当てられる方向(角度)も限られる中で作れない。

鍛冶屋さんのお母さんが言っている『まがり』のノミは
昔から石工たちに求められていたのでしょう。

江戸時代このような彫刻ができる石工が、岡崎にはいたのです。
この技術があったからこそ、岡崎をはじめ三河地方には
多くの常夜燈が作られ、今も残っていることに納得します。
【宝珠】
花崗町常夜灯|宝珠
常夜燈の文字も力強く、息づかいが感じられます。
常夜灯字彫り (2)花崗町常夜灯
こんなに深く彫ってあります。
200年経っても、石の劣化が見られない硬い花崗岩を
当然ですが、手作業で彫り下げています。
常夜灯字彫り (1)花崗町常夜灯
見所を紹介していたら、
タイトルの『腕比べ』の話を忘れていました。

常夜燈がある花崗町は、岡崎の石工が多く暮らしていた
東海道から北側の石屋町通りにあります。

街道沿いには、今も石屋さんたちが多く暮らしています。

この常夜灯は、腕自慢の石工が技量比べとして
地輪の各面を各地区が担当して彫刻したそうです。

地輪の幅は4.2尺(127㎝)
この燈篭を起点として、
東の地域の石工が担当したと言われる龍
常夜燈)地輪正面(龍) (1)
地輪正面(龍) (2)
地輪正面(龍) (4)
西側の人が担当した鯉
地輪向かって左鯉 (1)
地輪向かって左鯉 (2)
地輪向かって左鯉 (3)
灯篭より前側の石工が担当した龍
地輪向かって右(龍)
枠からはみ出している角や、ツメの感じも好きです。
地輪向かって右(龍) (2)
ひとつの常夜燈で、複数の職人が技術を披露しているのは
石工がたくさんいる石屋町だからこそ。
石工たちが、プライドを持って彫ったのだろうと推測されます。

文化十年
柱向かって右文化10年
柱向かって左5月
知れば知るほどに、残し続ける訳が分かります。
これが石屋とは無関係の町だったら、
この燈篭は残っていただろうか。
不必要として、片付けられてしまったかもしれません。

近くの両町にあった常夜灯は、
市内でも古い寛政2年(1790)のものでした。
岡崎空襲の被害にあっても建っていたそうです。
痛みがあり昭和47年に取り壊しとなりましたが、
灯篭の一番上の宝珠は、公民館の前に今も保存されています。

石文化の理解や、石工への尊敬がある
石屋の町だからこそ、守られているのかもしれません。

もちろん秋葉山の信仰も、町の歴史や文化の保存もあります。
変わらずに在り続けてくれる景色には、懐かしい気持ちにさせます。
いずれにしても、灯篭が大切にされている姿は、嬉しくなります。(N)









常夜灯の話をしていると、
「この模様って何か知ってる?」と聞かれました。
卍模様(万字)の彫刻|常夜灯
なんだろう、細かい幾何学的な模様だなと思っていました。

これは『卍模様』(紗綾形模様)といって
縁起が良いのだと教えてもらいました。
卍模様(万字)の彫刻|常夜灯
「卍」の先端をそれぞれ伸ばして連続させた模様です。

切れ目がなく、絶えなく続いていく、長久の意味から、
繁栄や長寿の縁起の良い模様なのだそうです。
吉祥模様として白無垢にも使われています。

着物以外にも、大岡越前の水色と白色の襖もこの模様
知らぬうちに目にしているかもしれません。

以前、『萬歳(ばんぜい』と漢字で刻まれた灯篭を紹介しました。
萬歳|常夜灯
これも卍模様と同様の長寿や繁栄を意味します。

常夜灯には、平和な世の中が続くようにという
当時の人々の願いが込められていることに感動します。

秋葉山の常夜灯は、この部分が無地だったり、
秋葉山の文字や紋が彫刻されることもあります。

例外的に豪華な秋葉山の文字
この豪華さの訳は、またご紹介します。
〈花崗町の常夜灯〉
秋葉山常夜灯の文字
こちらは秋葉山の定紋が彫られています。
〈岡崎市明大寺の常夜灯〉
秋葉山常夜灯の紋
この縦縞の彫刻は、卍模様を簡略化していった面影なのかも?
それは考えすぎかと、念のため調べてみると
縦じまも、子孫繁栄の縁起模様でした。
太い縞と細い縞を親と子に見立てるのだそうです。
〈豊橋市吉田の常夜灯〉
常夜灯受の彫刻(豊橋市吉田)
文政2年建立のこの常夜灯に彫られた縦縞は、
縦縞の美意識が流行した文化文政時代という
背景も影響しているのかもしれません。

火袋に彫られる縦縞は、
建物の格子を表現していると考えられますが
受(うけ)の場合は、縁起模様なのかなと考えています。

灯篭の彫刻の意味を知り、
当時の人々の願いに気が付けました。
『常夜灯』には、現代の私たちの想像以上に思いが込められているようです。(N)

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岡崎石の公園団地の常夜灯に続いて紹介するのは、
豊橋市の一号線沿いにある常夜灯
この燈篭も岡崎のみかげ石で製作されています。
常夜灯|豊橋 (5)
常夜灯|豊橋説明看板
こちらも秋葉山の灯篭です。
常夜灯|豊橋 (2)
作られたのは文化2年(1805)庶民に秋葉信仰が浸透し
常夜灯の建立が盛んになった時代です。
常夜灯|豊橋文化年号
台座には『吉田中安全』と刻まれています。
この時代になると、秋葉信仰が秋葉講という互助組織から、町や村の信仰へと移っていきます。
常夜灯|吉田中安全
この常夜灯は、城下の大火に対する安全祈願のために
吉田城の惣門(城の正門のような場所)に建てられました。
『新町の大燈籠』と吉田宿の名物になっていたそうです。

明治21年(1891)の濃尾地震で倒壊するも復旧
東南海地震(1944)と三河地震(1945)による倒壊
豊橋空襲(1945)6月
豊橋では市街地のほどんどが戦火に包まれました。

昭和55年(1980)豊橋公園内に再建し、
2001年に建立当時の位置に近い現在の場所に移転されたそうです。
吉田中安全秋葉山常夜灯|豊橋説明
破損も多く正面文字も欠けています。
『常』の両サイドにある文字は、おそらく『代』『永』
永代常夜灯|豊橋 (3)
お寺へ寄進する場合、永代常夜灯は、火を灯す永代の油代を含めて寄進されたとされます。この場合は永代町内で管理していきます。という意味あいで、町内の安全とともに町の繁栄も祈願されたのではないでしょうか。

永代常夜灯と刻まれた灯篭は、時々見かけられます。
こちらは岡崎市明大寺にあったもの(2025年撤去されています)
明大寺秋葉山永代常夜灯

豊橋市吉田の常夜灯は、豊橋を舞台としたライトノベル・アニメ
「負けヒロインが多すぎる!」にも登場します。
作中で常夜灯に灯りが点いているように、実際にも夜になると灯りが点きます。

この場所に残すために、灯篭の宝珠や火袋は
昭和55年の再建時に作り替えられています。
秋葉寺の定紋が彫刻された受には欠けがあります。
常夜灯|豊橋
獅子の姿もあります。
常夜灯地輪|豊橋
柱や地輪には、破損が多く見られます。
地輪には、補修の合間から獅子が顔を出しています。
常夜灯地輪|豊橋 (3)
牡丹の彫刻でしょうか。
常夜灯地輪|豊橋 (2)
東三河の地域にも、秋葉山常夜灯が多く残っています。
この常夜灯は、豊橋の文化財として、八町の交差点で町を照らしています。(N)

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