タグ:記念碑
石碑の設置工事2(基礎工事)|豊橋市 吉川神明社
石碑の設置工事1(台石の加工)|豊橋市 吉川神明社
神社の石碑を作ります。
岡崎産の吉祥石 幅200㎝ 高さ100㎝ 重量1300kg

本体に合わせて、台石を選びました。
幅250㎝ 重量1800kg

台石に、本体をはめ込む穴をあけます。
工場内のクレーンを使って、石を移動します。



石を機械に置いて、水平にセットします。

「コア抜き」といって、パイプの先端に付いた刃を
回転させて石を削ります。

この機械で、はめ込みの穴をあける訳ではありません。

穴の底面に、高さの基準を作る目的で作業しています。

石をはめる190×25㎝の面積の中に
このように4か所に6個ずつの穴を掘りました。

パイプで掘ると、円形に石が削れます。

石を取り除いていきます。
この底面を基準にして、はめ込み穴を作ります。

石を削って、本体を差し込む穴を作ります。

底面は、レベルを確認して削ります。

本体の石の形に合わせた穴を作りました。

台石の天面は、平らではないので、
穴の深さは1~9㎝位で場所によって違います。

はめ込みの穴は、本体よりも少し大きめにしています。

はめ込みは、ぴったりではなく隙間を作ります。
隙間には、施工時にセメントが入ります。

石に彫る文字を配置して、
文字サイズや余白を調整してレイアウトを決めます。(仮)

文字を彫って、工場での作業は完了です。

次は、現地で設置準備をします。(N)
吉川神明社の記事
岡崎産の吉祥石 幅200㎝ 高さ100㎝ 重量1300kg

本体に合わせて、台石を選びました。
幅250㎝ 重量1800kg

台石に、本体をはめ込む穴をあけます。
工場内のクレーンを使って、石を移動します。



石を機械に置いて、水平にセットします。

「コア抜き」といって、パイプの先端に付いた刃を
回転させて石を削ります。

この機械で、はめ込みの穴をあける訳ではありません。

穴の底面に、高さの基準を作る目的で作業しています。

石をはめる190×25㎝の面積の中に
このように4か所に6個ずつの穴を掘りました。

パイプで掘ると、円形に石が削れます。

石を取り除いていきます。
この底面を基準にして、はめ込み穴を作ります。

石を削って、本体を差し込む穴を作ります。

底面は、レベルを確認して削ります。

本体の石の形に合わせた穴を作りました。

台石の天面は、平らではないので、
穴の深さは1~9㎝位で場所によって違います。

はめ込みの穴は、本体よりも少し大きめにしています。

はめ込みは、ぴったりではなく隙間を作ります。
隙間には、施工時にセメントが入ります。

石に彫る文字を配置して、
文字サイズや余白を調整してレイアウトを決めます。(仮)

文字を彫って、工場での作業は完了です。

次は、現地で設置準備をします。(N)
吉川神明社の記事
石に彫った文字の修正方法|お墓や記念碑
時々「石に彫ってある文字を直せませんか?」と
ご相談を受けます。
お墓の戒名やお名前の漢字が間違っていたなど、
彫刻後に判明することもあるようです。
やり直しがきかない緊張感が、石碑の魅力でもあります。
しかし、間違っているものは、気になりますよね。
石に刻んだ文字の修正方法を2つご紹介します。
※完全な修正ができないことを、先にお伝えしておきます。
1.
石の厚みを文字底まで擦り落として、全面彫り直す。
メリット
・綺麗に仕上がり耐久性がある
デメリット
・現状よりも石が薄くなる、形が変わる
・石を取り外し、工場での加工が必要
・石の状態や状況によっては難しい
・台座がある場合、隙間が広がり、目地が太くなる
・修正費用が高くなる
カット費・カット面の仕上げ加工
擦り落とし面の文字を全て再彫刻する費用、引取と再設置
2.
既存文字をパテで埋めて、再彫刻
メリット
・現地で加工が可能
・加工が少なく、費用は抑えられる
・埋めるのみなら、効果的
デメリット
・耐久性がなく、5-10年経過するとパテが変色し
既存文字が見えてきてしまう
【修正例】持→待に修正します。
既存の彫刻

パテ埋め後

修正後
近くで見ると既存の彫刻がうっすら見えますが、
全体で見た時には目立ちません。

※追加彫刻
点や線を追加するなど、修正内容によっては、
1.2を行わずに、修正加工をすることができます。
弊社では文字彫刻を行う際に、間違いがないよう、
彫刻見本を作成し、彫刻前にお客様にご確認いただいております。
思い違いや、勘違いのないよう、皆様にご協力いただいております。
石に刻んだ文字の修正を希望される方は、ご相談ください。(N)
ご相談を受けます。
お墓の戒名やお名前の漢字が間違っていたなど、
彫刻後に判明することもあるようです。
やり直しがきかない緊張感が、石碑の魅力でもあります。
しかし、間違っているものは、気になりますよね。
石に刻んだ文字の修正方法を2つご紹介します。
※完全な修正ができないことを、先にお伝えしておきます。
1.
石の厚みを文字底まで擦り落として、全面彫り直す。
メリット
・綺麗に仕上がり耐久性がある
デメリット
・現状よりも石が薄くなる、形が変わる
・石を取り外し、工場での加工が必要
・石の状態や状況によっては難しい
・台座がある場合、隙間が広がり、目地が太くなる
・修正費用が高くなる
カット費・カット面の仕上げ加工
擦り落とし面の文字を全て再彫刻する費用、引取と再設置
2.
既存文字をパテで埋めて、再彫刻
メリット
・現地で加工が可能
・加工が少なく、費用は抑えられる
・埋めるのみなら、効果的
デメリット
・耐久性がなく、5-10年経過するとパテが変色し
既存文字が見えてきてしまう
【修正例】持→待に修正します。
既存の彫刻

パテ埋め後

修正後
近くで見ると既存の彫刻がうっすら見えますが、
全体で見た時には目立ちません。

※追加彫刻
点や線を追加するなど、修正内容によっては、
1.2を行わずに、修正加工をすることができます。
弊社では文字彫刻を行う際に、間違いがないよう、
彫刻見本を作成し、彫刻前にお客様にご確認いただいております。
思い違いや、勘違いのないよう、皆様にご協力いただいております。
石に刻んだ文字の修正を希望される方は、ご相談ください。(N)
石碑の移設工事|愛知大学豊橋キャンパス
愛知大学豊橋キャンパス内にて、記念碑の移設工事を行いました。
2026年に創立80周年を迎える愛知大学の創設時を解説する記念碑が、
同窓会記念会館の裏手にありました。
この度、キャンパスのメモリアルエリアにある
「愛知大学設立趣意書の碑」「自由受難の鐘」の横に
この記念碑を移設したいという、ご相談でした。
亜細亜友好記念碑(移設前)
本体 幅1960mm 高さ1150mm 奥行300mm 重量約1800kg

石碑によると、愛知大学は1946年(昭和21年)に創立され
終戦によって、海外にあった大学からの引き揚げ学徒が多く編入した歴史があります。

2014年に建てられた「亜細亜友好記念碑」は、
戦前戦後の日本・中国・満州・朝鮮・台湾・モンゴル・ロシアなど
国籍を超えた友好の証です。背面には戦前、
国外にあった大学の学生・教職員らの名前が刻まれています。
移設工事の様子をご紹介します。
友好記念碑は、多くの学生が利用する「そよかぜ広場」前へ移設します。

基礎工事

転圧

杭打ち

砕石敷設後の転圧

コンクリート打設

鉄筋

基礎工事完了

後日、記念碑の移設工事を行いました。
カニクレーンという移動式小型クレーンを使います。

クレーン付きトラックが入れない場所でも
重たい石を持ち上げて移動することができます。
本体とゲタの合端にある接着剤を切り離すために、ジャッキで本体を持ち上げます。

カッターで本体の底面をくさびが入るように削ります。

本体の背面が持ち上がるように
クレーン・ジャッキ・くさびをそれぞれ効かせながら作業します。

背面側を持ち上げながら、合端の接着剤を切り離します。

本体をカニクレーンで吊り上げます

ゲタを取り外します。

基礎工事をした移設先で、ゲタの設置をします。

本体を置きます。


移設後

記念碑は、歴史や人々の思いを未来へ残し伝える役割があります。
この碑に込められた思いを、より多くの人に知ってもらえるようになると良いです。

愛知大学設立趣意書の碑の脇に、亜細亜友好記念碑が移設されました。
愛知大学設立趣意書の碑↓(そよかぜ広場前)

愛知大学は、空襲を免れた陸軍予備士官学校(かつての陸軍第15師団)跡地に創立しました。(現在の豊橋キャンパス)
空襲により焼け野原となった豊橋市街地から少し離れたこの地域には、戦争遺跡が多くあります。
これらの歴史は、愛知大学建学の精神へも繋がるのではないでしょうか。
敗戦後に「世界文化と平和への貢献」、「国際的教養と視野をもった人材の育成」、「地域社会への貢献」を掲げた建学の精神は、戦後80年を迎える現代においても重要なものだと思います。(N)
豊橋市に関連する記事↓
2026年に創立80周年を迎える愛知大学の創設時を解説する記念碑が、
同窓会記念会館の裏手にありました。
この度、キャンパスのメモリアルエリアにある
「愛知大学設立趣意書の碑」「自由受難の鐘」の横に
この記念碑を移設したいという、ご相談でした。
亜細亜友好記念碑(移設前)
本体 幅1960mm 高さ1150mm 奥行300mm 重量約1800kg

石碑によると、愛知大学は1946年(昭和21年)に創立され
終戦によって、海外にあった大学からの引き揚げ学徒が多く編入した歴史があります。

2014年に建てられた「亜細亜友好記念碑」は、
戦前戦後の日本・中国・満州・朝鮮・台湾・モンゴル・ロシアなど
国籍を超えた友好の証です。背面には戦前、
国外にあった大学の学生・教職員らの名前が刻まれています。
移設工事の様子をご紹介します。
友好記念碑は、多くの学生が利用する「そよかぜ広場」前へ移設します。

基礎工事

転圧

杭打ち

砕石敷設後の転圧

コンクリート打設

鉄筋

基礎工事完了

後日、記念碑の移設工事を行いました。
カニクレーンという移動式小型クレーンを使います。

クレーン付きトラックが入れない場所でも
重たい石を持ち上げて移動することができます。
本体とゲタの合端にある接着剤を切り離すために、ジャッキで本体を持ち上げます。

カッターで本体の底面をくさびが入るように削ります。

本体の背面が持ち上がるように
クレーン・ジャッキ・くさびをそれぞれ効かせながら作業します。

背面側を持ち上げながら、合端の接着剤を切り離します。

本体をカニクレーンで吊り上げます

ゲタを取り外します。

基礎工事をした移設先で、ゲタの設置をします。

本体を置きます。


移設後

記念碑は、歴史や人々の思いを未来へ残し伝える役割があります。
この碑に込められた思いを、より多くの人に知ってもらえるようになると良いです。

愛知大学設立趣意書の碑の脇に、亜細亜友好記念碑が移設されました。
愛知大学設立趣意書の碑↓(そよかぜ広場前)

愛知大学は、空襲を免れた陸軍予備士官学校(かつての陸軍第15師団)跡地に創立しました。(現在の豊橋キャンパス)
空襲により焼け野原となった豊橋市街地から少し離れたこの地域には、戦争遺跡が多くあります。
これらの歴史は、愛知大学建学の精神へも繋がるのではないでしょうか。
敗戦後に「世界文化と平和への貢献」、「国際的教養と視野をもった人材の育成」、「地域社会への貢献」を掲げた建学の精神は、戦後80年を迎える現代においても重要なものだと思います。(N)
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